ほめられることが不思議な心理🍀

 

生きづらさを感じている、がんばり屋さんのあなたへ。

《あおばカウンセリング☕カフェ》青葉です🍀

 

 

関西地方からは緊急事態宣言が再び要請されました。

私が住む地域でもまんえん防止措置法が敷かれました。

しかし、空は晴れ渡り、吹く風も気持ちよく、素敵な季節を楽しみたいものです。

 

 

ほめてもらいました!

 

さて、今日はほめられることについて触れてみようと思います。

 

 

昨日から今日にかけて、お弟子仲間たちからツイッターほめ殺しに遭う」という体験をしました💦

 

 

おひとりの方がまずほめてくれて、それに加わって別の方もほめてくれて。2倍でほめられると私の頭の中も制御不能になるくらいに。人生でこんなことあったか?

その前からも、隠れファンですとかジワジワお声をいただいていまして。人を褒めることができるなんて、さすが心理を学ぶ人たちだなあと感じておりました。

ありがとう~❦

 

 

でもね、どうも不思議なんです。

あれ?私のこと?人違いじゃないの?

と何度も読み返します。

どうも本当に私のことみたいだ。

でも、ほめられるようなことは何もしていないしなぁ。

でも嬉しいなあ~とタイムラグがあってやっと頭で理解が追い付く感じです。

 

 

ほめてもらっていることを、すんなりと受け取ることができないのです。

 

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 なぜに上手に受け取ることができない?

 

いつも、「人に認めてもらいたい」という気持ちをもっています。

それは小さいころからだったと、今振り返ると思います。

 

 

元から、親や妹のケアをしたり、長女の仮面をかぶってじぶんよりも周りを優先させてきたところはありました。

 

 

それなのに、親からほめられることはありませんでした。

転校が多く、新しい学校にがんばって通っても。

100点を取っても、運動会で1等賞をとっても。

子どもの私は、親はそういうものだと思っているので、違和感をもつこともなく。

 

 

でも、無自覚に心の中では感じていたでしょうね。

次は学級員になったらほめてくれるかな、コンクールで入賞したらどうかな。

でもほめられない。

母曰く、「私もそのくらいできていたし。」

もう子ども同士です。

 

 

今思えば、自己肯定感の低い母が、長女の私と競い合っていたのです。

母のためにがんばってきたのに、活躍するともぐらたたきに遭うのです。

母を超えてはならなかった。

妹は母をおびやかすこともなく、顔も自分に似てかわいいから好きなんだそうです。

母は頭が良くてスポーツもできるすごい人で、尊敬していました。

それなのに。

彼女にも彼女のつらさがあったのでしょうね。

 

 

あんたはブス、あんたはバカ。

でも、学校に行ってもバカと言われたことは一度もなく。

外を歩いていても、ブスだと指さされることも一度もない。

それでもいい子の私は、母のことばは正しいと鵜呑みにする。

私の元から持つ繊細と相まって、現実との乖離が始まります。

 

 

どんどん無理に挑戦していく。

平和主義のぼーっとした女の子だった私が、どんどん武装していきます。

母からの暴言、暴力がエスカレートしていきます。

そして、どっかーん。

 

 

がんばりが効かなくなって、ハイ、ひきこもりの誕生です🐣

自分らしい生き方を見つけるという気持ちがあるので、明るいひきこもりですが。

 

 

たぶん、母は私がひきこもりとは知りませんし、私に触れることはできません。

私が母に迎合することを止め、「No」を突き立ててから。

罪悪感をもっているのでしょうね。

暴言や暴力もひどかったからね。

 

 

それくらい、自己肯定感は大事なんだなと感じながら、今この文章を書いています。

 

 

ほめられてこなかった過去があるから、今も受け取りにくいと分かります。

 

 

シャドウとのたたかい

 

親にほめられず認められてこなかったり、長女として我慢したり、甘えられなかったり…と抑圧された思い。

その副産物として、自分の中で生きられなかった本来の私を投影したもの、シャドウがときおり目の前に出現します

 

 

自由に生きている人

キャッキャッと女の子っぽいことができる人

言いたいことが言える人

機嫌を表に出す人…

 

 

私の閉じ込めた部分をもっている人が苦手になったりします。

私の妹もそのひとりかもしれません。

 

 

目の前に苦手なタイプが現れたときに、その要素が本来の私の中にもあることを認める。それを許すことで、生き方の選択肢が広がるし、本来の自分を取り戻すことにもなります。

 

 

だから、苦手は人って実は本来の自分で、大事な出会いなんだと思います。

これは、目下の私の課題でもあります。

 

 

後記

 

カウンセラーお弟子講座の中で、かっこつけるのはやめようと思ったんです。

私は年齢もいっているし、分からないなんて言えない。

周りのお弟子さんの学びがすごくて、こんなことを質問したら恥ずかしい。

 

素直に負けを認めて、自分のダメなところをさらけ出してみると、なんだか風が変わったように感じました。周りが温かい目で見てくれて、私の良さを伝えてもらうことが増えました。

 

少しずつですが、本来の自分に戻っていきたいなと思います。

 

 

明日、あなたが見える景色が

美しいものでありますように🍀

 

《あおばカウンセリング☕カフェ》青葉でした。

 

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