生きづらさは、幸せへのヒント。
ライフワーク・カウンセラーのあおばです🍀
コロナの症状を改善するのに、
鼻うがいがいいとTwitterで教えてくれている人がいらしてね。
ポチっと。
移住しても便利な世の中です☆
人生の初体験に、
脳みそまで生理食塩水が入ったのではないか?
と、心配になりましたが
少し続けてみようと思います。
やれることは、何でもやってみるのよ!
(私の主治医談)
IKEAのサメちゃんは、最近私の相棒になりました
===
前回に続き、今日もHSPについて
少し触れてみたいと思います。
あなたは、ハードワーカー(働きすぎ)の自覚がありますか?
私はあります。
といいますか、ありました。
振り返ってみれば、
学生時代からハードワーカー。
夏休みは住み込みで働いたり。
住み込みがなくても、
1日3つのアルバイトを掛け持ったり。
朝・昼・晩に1つずつね
若かったわ~
とか、今日はそういうことではなくね。
就職して、
天職だと思っているのに、
どこかで『何か違う』と思っていたときの
私のお話です。
乖離してるでしょ。
===
一番長い経歴は、公立中学校教諭。
第二次ベビーブーム超氷河期の採用なものだから採用率が低く、
近い年齢の人が学校内にいない。
同じ学年の先生で、一番近いのが20歳上なんて普通にあった。
当時はまだ、
若いうちは仕事をさせろ的な風潮があった。
20代は私ひとりきりですがね…
仲間もおらず、しかも荒れた学校では私の心はすさむばかり。
15年続いた教員のハードワーク時代
最初の着任校は、
家から1時間半かかる場所にあった。
朝、暗いうちから家を出て職場へ向かう。
なにせ、
若い女性の中学校の先生。
なめられないように、努力の毎日。
やることをやっていれば見ている生徒もいた時代だった。
1日が終わるのは、
まさにあっという間。
生徒がいる時が勝負だと思っていた。
放課後は自分ができないスポーツの顧問を務めざるを得ず、
土日も無休&無給で練習。
遠征に行っても、交通費やランチ代も出なかったような記憶がある。
それでも、保護者からは『もっと部活をやってほしい』と
命を削られるほどの要求が来る。
部活を見ながら、
小テストの採点をしながら、
『何か違う』と思っていた。
天職だと思っていたのにね。
当時は、何が違うかは分からなかった。
最初の学校は、警備員さんがいた。
21:30になるとその警備員さんも帰る。
『ほら、帰るよー』と言われて、
警備員さんと一緒に帰る。
そこから、1時間半かけて家に帰ると、もう深夜。
それから、自分の授業の準備を3時までやって、
朝暗いうちに家を出る。
狂気の沙汰。タイムカードもない。
それでも、期待に応えようとがんばる。
認められる。
仕事が振られることが増える。
学校を越えて、区全体の教員の指導、
都全体の研究員とどんどん仕事が増えていった。
いや、活躍の場を広げた。
きっとそれでも、
必要とされていること、
認めてもらえることが嬉しかったのかもしれない。
そんな息も付けないほどの15年を過ごし、
私の大事な若い時代は過ぎていった。
何か違う、けれど何かは分からなかった。
4校目で夏休みに入ったころ、
パタッと『学校に行くのは止めよう』
と、思った。
管理職には自分で説明しに行き、
何も保護されないことも感じた。
自分の身は自分で守るしかない。
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よくがんばったなと思うんです。
そのがんばった時代があるからこそ、
今の自分の支えになっているとは思います。
ただ、
本当に他人軸だったなとも思うんです。
まわりの生徒や親、先生方の顔色をうかがいながら
それに合わせてただ期待に応えて。
肉体的な疲れもそうですが、
積み重ねた心の疲れはピークだったのでしょう。
この働き方に加えて、
結婚してからは毎日の食事から家事を一手に担当していました。
それが苦痛とも感じず、当たり前だと思っていまして、
今では考えられないことです。
収入もある、家事もするスーパーミラクル主婦でした💦
そりゃ、オトコをダメにするわな~
この他人軸は、
転職してからも続き、
この4年ほどやっとハードワークを辞めているところです。
今の生産性の少ない自分に
嫌悪感があったりもしますが、
それだけ浪費させてきたのかなと
休みが必要なのかなとも
今このブログを書きながら感じています。
===
まわりの人のことばかり気にしてしまう
アダルトチルドレンの側面と、
繊細に感じ取ってしまう元々のHSPという性質と。
それが掛け合わされて、
ものすごい数のアンテナを頭の上に立て、
よく生きてきたな…
当時は、そんな情報もありませんでしたし、
うまくできない自分を責めるばかりでした。
40歳くらいからでしょうか。
やっと、そんな自分の性質や育ち方が分かってきて
愕然としました。
これは生きづらくて当然だ。
知るは力。
まずは自分の生きづらさに名前があること、
自分だけではないところから
知っていくことが大切だと私は感じています。
自分のことが分からなかったら、
人の視点を取り入れることで
新しい見え方がインストールされていきます。
青葉もそろそろカウンセリングを再開しようかと・・・
もしよろしかったら、待っていてくださいね🌼
やわらかな木漏れ日のような日々が、おとずれますように🍀
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