生きづらさは、幸せへのヒント。
ライフワーク・カウンセラーのあおばです🍀
お盆の時期をどのように過ごされていますか?
実家や地元に戻りにくい人もいるだろうし、
戻りたいと思わない人もいるでしょう。
私もそんなひとりです。
大丈夫です!
自分の気持ちは自分で守ればそれで〇です☆彡
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本日8月15日は、77回目の終戦の日です。
戦争について、もっと祖父母に聞いておけばよかったと
この時期になると思います。
よく、命が当たり前にあるのではなく、
スゴイ確率で与えられた命。
大切に生きていきましょう。
なんて、聞いたりすることがあるでしょう。
でも、日々の忙しさや健康が当たり前だと
なかなか感じにくいことでもあります。
今年の春に私の父が亡くなったから
余計にでしょうか。
今、私がここで生きていることは、
とてつもなく幸せなことなんだと
感じる今日この日でした。
戦争と原爆について少しだけ
お話してみようと思います。
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私の父は福岡県北九州市小倉に生まれ、
育ちました。
第2次ベビーブームの生まれで、
戦争が終わってから2年後に生まれました。
広島に原爆が投下され、
第二の投下は長崎ではなく
小倉だったという説が濃厚だったという資料があります。
私の父の父、
つまり私の父方の祖父は、
八幡製鉄所に勤めていました。
名前を聞いたことがある人もいるでしょう。
原爆が落とされていたら、
父の上の姉や兄のあと、
父は生まれていなかった可能性が高かったのです。
あの日、
上空が煙っていなかったら
B29から小倉の街が目視できていたら…
私も存在していなかったことになります。
小倉じゃなくて良かったということではありません。
どこにも落としてはならないものです。
私は小学校時代に長崎で過ごしたこともあり、
その被爆地の惨状について学んでいるつもりです。
調べてみると、
この上空が煙っていたのは偶然ではなかった。
八幡製鉄所の人たちが原爆のうわさを聞いて、
上空に煙幕を張ったという話もあります。
目の前には辛いことや悲しいこと、
どうして私の人生はこうなんだと
悔やむ日もたくさんあります。
あの原爆が小倉に落ちなかったから、
東京大空襲で母方の祖父母が生き残ったから。
だから、私はここに生きていられる。
幸せに生きなくっちゃもったいないなと
父の新盆に、改めて感じました。
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戦争から77年が経ち、
若いみなさんは戦争について
遠い話でしょう。
40代の私も、定かではありません。
戦争に関わらずとも、
こんな親の元に生まれていなければとか、
もっとかわいく生まれていれば、
もっと賢く産んでくれたら・・・
などと、思うのはあると思います。
放っておけば、
人は悲観的なほうに目が向く性質なんだそうです。
もう少し、現実を目の前で直視することから
少し離れて、
今、自分に『ある』ことに
目を向けていけたらいいなと思った次第です。
よく聞かれる、
『命を大切に』というメッセージが
身に染みます。
自分の人生をクリエイトするのは、
もう大人になった私たちです。
自分軸で、自分の人生を創っていきたいものです。
やわらかな木漏れ日のような日々が、おとずれますように🍀
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