生きづらさは、幸せへのヒント。
ライフワーク・カウンセラーのあおばです🍀
広島に原爆が投下されてから、77年。
8月になると、
私は鎮魂の気持ちになります。
平和であることをありがたく思い、
平和を維持する努力が必要だなと思います。
それは、普段の社会や家庭での生活も同じように思うのです。
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さて今日は、私のライフワークの1つ、
移住についてお話をしようと思います。
旅先で訪れた、
ある工房でのことです。
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あれは9年近く前のことでしょうか。
私は営業職にあり、
苦手ながら、車を運転するようになっていました。
まだひきこもり前だったのですが、
車を借りて、千葉県の南端、南房総を旅したことがありました。
野島崎灯台のほど近くにある宿に泊まりました。
その宿の人に教えてもらった、
家具などを作る工房にお邪魔してみることにしました。
住所も、どの道を行ったかも覚えていませんが、
細い山道をひやひやしながら登って行ったのは覚えています。
ご夫婦で営まれている工房でした。
そのご主人との会話がずっと印象に残っています。
「移住してくればいいのに。」
こんなことを言ったのです。
私は、頭の片隅に移住の文字はありましたが、
まだまだ現実的なものではありませんでした。
しかも、私が何も言っていないのにです。
何かを感じたのでしょうか。
真相は確かめていません。
私の返事は、
「結婚もしていますし、仕事もあるし。」
そうしたら、
「全部置いてきちゃえばいいんだよ。」
そんな内容のことを言いました。
夫と別居し、
これからどうしようかと悩んでいたのは確かです。
まるで、私の心を見透かされているようでした。
こちらのご夫婦も、東京から移住してきたそうです。
「でも、仕事になる一芸があるといいね。」
そんなアドバイスもくれました。
コーヒーもすすめられましたが、
何も買う予定もなかったので断り、
そのまま帰路につきました。
もう一昔前のことですが、
そのときのことがずっと頭の片隅にあります。
今思えば、
あそこから移住に向かって少しずつ進んで行ったような気がします。
今日は、
移住に向かって動き出したきっかけの1つをお話ししました。
しかし、それから移住したのは約9年後。
それは、
私のライフワークを整理するのに必要な時間だったように思います。
営業職として成績も悪くはありませんでしたが、
「何か違う」とも感じ始めていました。
今日はここまでです。
忘れずにずっと覚えているのは、
私にとって移住は必要な選択だったから
なんだなと今は思います。
やわらかな木漏れ日のような日々が、おとずれますように🍀
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