生きづらさは、幸せへのヒント。
ライフワーク・カウンセラーのあおばです🍀
ここに移住してきて
もっとたったように感じますが、
まだ4ヵ月。
いろんな事があって
ぎゅっとつまった4カ月に、
学びがたくさんありました。
それを回収し、
確認し、
私の中に落とし込むには
まだ時間が必要そうです。
でもこうしてブログを再開する気持ちになれたのは、
一歩何かが進んでいるのではないか?
なんて思ったり。
少しずつ、
聞いて下さいね🍀
我が家のアメリカンブルー
===
今日は、
私には関係ないと思っていた
嫉妬についてのお話。
最近ね、ふと、
母も夫も私に嫉妬していた可能性はあるのか?
なんて頭によぎったんです。
===
私は自己肯定感が低く、
自分以外の人が正しくて、
私はダメな人だと思ってきました。
今でも何かあると、
そこからスタートする。
だから、
みんなの役に立とうとがんばる。
全てを引き受けてしまう。
相談役、
リーダー役、
ピエロ役、
他にもあったかな。
何をしても振り向いてくれない母に、
一生懸命がんばってアピールし、
それでも褒めてくれることはなかった。
挫折感いっぱいの子ども時代。
しかし、通知表を見返すと、
担任の先生が褒めてくれる言葉が見つかる。
他人からの評価が多数であっても、
母から認めてもらいたかった。
それは親からの愛が欲しかったともいえるでしょう。
母は、
頭が良く、スポーツもできて、
娘の私から見ても美人で。
私は母も父も尊敬していたし、
私はとても追いつけないくらい人たちだと
尊敬していた。
しかし、
当の本人たちはそうではなかった。
自信がなく、自分を認めていなかったのかもしれない。
私の夫は学生時代の同級生だが、
私にできないことができる器用な人で、
こちらのこともすごいなと思っていた。
こちらも、やっぱり自信がない人だ。
母も夫も、話が通じない。
もう少し詳細に言うと、
そんなことまで?ということを拾い上げて、
私を責めまくる。
つまり、その場の状況に合わないことまで責めてくる。
体験したことない人には難しい内容かもしれません
自分のことばかり見ていて、
相手のせいにする材料をいつも探している。
ちくちくちく…
それが、おかしいと思い始めたのは、
やっと私が40代になってからだろうか。
私もずっと麻痺して、
私が悪いからだと洗脳されていたようだった。
===
自分に自信がないから、
私はまわりに認めてもらおうとがんばる。
それは大変なこともある。
しかし、
やればそれなりに力も付いてくる。
いつもまわりばかり見てきたので、
全体を見て足りないことに気付くことができる。
母は自分のことばかりで、それは難しい。
だから、引きづり降ろさんばかりに私を母はなじってきた。
夫がなりたかった教員に私はなったし、
お給料も夫よりも上だった。
私は何も気にしていないのに。
でも、それを知ると暴れていた。
双方ともに思うのは、
レベルやランクにこだわるところがある。
私が結婚がうまくいかないのは、
いい大学や勤めの相手じゃなかったから。
ひとりっ子だから。
などと言う母。
夫は、
私が苦しみながら転職をしているが、
私の転職先を調べ上げ、
私の身分やお給料を探る。
今振り返れば分かる。
人間性よりも、
持ち物にこだわる、
飾りが必要なよう。
自信のない人にありがちだ。
だから、
私ができてしまうことは
とても許しがたいようだった。
でも、私がしてあげたことは搾取するのだが💦
===
私を見下げようとするのは、
私に嫉妬していたとも言えるのかもしれない。
自信のない人は、
相手のせいにすることで
自分の良くないところを見つめなくて済む
傾向があると私は思っている。
逆に、私側から見てみる。
私も自信がない人である。
その自信のなさで選んだ夫。
つまり、レベルが違う人と結婚したとも言える。
とてもおこがましい言い方に聞こえるかもしれないが
合わない人を選んだのは、
私なのかもしれない。
夫との関係は、母との関係ととてもよく似ている。
そして、私も自分が幸せにならないのは母と夫のせいにしているのは認めるところ
その関係に気付き、
自分はどうしたいか。
結局、自分に返ってくる。
===
ものごとには、
いろんな見え方があり、
今回は嫉妬という面から書いてみました。
相手の事情をそのまま鵜呑みにせずに、
自分の事情を知り、
自分はどうするか?
結局いつも、
自分軸を選択することに還ってくるように
私は思います。
病床の父が、私に言ったんです。
『あんまりやると、お母さんが嫉妬しちゃうよ』
ああ、離れていても父は分かっていたんだなと思いました。
やわらかな木漏れ日のような日々が、おとずれますように🍀
読者になって&☆印をポチポチしてくださると、嬉しいです!