私の家族についてー源家族①🍀

ココロに傷をもつ、優しいあなたへ。


今日は25日。夫のお給料日です。
ちょうど、週に1度の食材の宅配も今朝来てくれて、
満たされた本日です🍽


と、書き出すと、幸せな主婦のようですが。
この夫のDVから端を発した別居は10年目に入り、
姿は見えませんが、私にストレスとしていまだにのしかかっています。
また後日、お話ししますね。


さて、お弟子さん制度の課題です。

家族関係を振り返るf:id:aoba-counseling:20210225144204j:plain

私にとって、家族について振り返るのは
楽しいことではありませんが…
自分を知るうえで大切なことなので取り組んでみます。


私の家族は、父・母・2歳下の妹と私の4人家族でした。
今は解散したようなものです。

父について

昭和22年ベビーブームの時期に生まれる。4人きょうだいの3番目。
地方の国立大出身。優秀なきょうだいの中、影が薄いのかもしれない。
大手の証券会社に入り、稼ぎが良かった。外でお金を使うことが多かったようだ。
転勤が多く、私が小学校6年生の時からは単身赴任。
母が言うには、「年頃の子どもたちがもう引っ越したくない。」
と言うから、単身赴任してもらったらしい。私はそう言った覚えはない。
その時、母の出身である東京にいたためか?と私は思っている。
父は1年くらいはたまに帰ってきていたが、そのうち女性ができ帰らなくなった。
優しい、よく遊んでくれた父だったが、母に離婚を迫り
だいぶひどい言葉を浴びせたと母から聞いている。
※しかし、連絡も取り合わない別居だが、父母は離婚はしていない。
私が中学生の頃、父からの入金が途絶え、私は高校にはいけないかもしれないと感じていた。
父は女性と別れ、地元で一人で暮らしている様子。
私が取りもてば、母のところに戻ってもいい雰囲気を私には出した。
だが、自分では動かないで現在に至る。
会うことはない。

母について

私にとっては、ひどいことをしたように見える父より母がしんどい。
父と同じ年齢。東京の下町で長子の長女。貧乏な家庭に育つ。
勉強ができ、スポーツもでき、美人でもある。
祖父母とも私から見ている限りいい人だったが、
祖父の事業がうまくいかなかったからか?お金がなく、
母は無料で通える有名看護学校に入る。
看護に興味もなかったが、首席で卒業。
看護師をしていたが、すぐに体を壊し退職。
父が勤める会社の医務室での勤務をはじめ、父と出会う。
私に自分の成績の良さなどをよく自慢していた。
父が家にお金を入れなくなり、母は久しぶりに看護師に復帰。
時代は変わっており、対応するのは大変だったと思う。
このころから、情緒不安定で薬を飲み始める。
外からは、悪い人に見られないが、
私に暴力暴言を吐き始める。妹にはしない。
私が中学生のころから社会人になっても続いたような気がする。
正直に言うと、記憶があまりない。
しかし、母が私の背中に思いきりかかと落としをするので、
私は背骨の神経が切れて死ぬんだろうなと思っていた。
母が疲れるまで、やり返さずいつも耐えていた。
熱湯や包丁や色んなものも私に突き立てられてきた。
誰にも言えなかった。
ちなみに私は、そんなに悪い子ではなく優等生だった。
父がいなくなる前から、母は暴力こそないが
私を褒めることは一切なく、
バカ、ブスに似た言葉を言われた覚えしかない。
母を好きだという記憶はない。
母のおかしさにやっと気づき、この6年ほど会っていない。
母が会いに来ることもない。
謝られたこともない。
「何もできない母を許してください」などと
自分が体がたいへんな旨を年賀状に書いてくる。
母は、未だに自分に向き合えず、人のせいにする。
看護師としては働くことはできているようだ。


書いていたら、なんだかスカッとしました。


さて、今日はこの辺りにします。
次回は、妹についても触れてみたいと思います。
こんな親がいるのかと思われる方。
自分の親と似ているところがあると思われる方も
いらっしゃるでしょう。


明日、あなたが見える景色が
美しいものでありますように🍀